毎日これだけ圧倒的な状況が伝わってきて、日本からは羨望の眼差しで見られがちな香港の運動ですが、実は日本の311後の無党派市民運動は、台湾や香港の運動に、直接的・間接的に影響を与えてきたのです。
まず日本の反原発運動が、台湾の反原発運動に影響を与えました。— TOKYO DEMOCRACY CREW (@TOKYO_DEMOCRACY) June 18, 2019
当初は「素人の乱」などのデモの影響が大きかったようですが、徐々に非常に大きな市民運動になりました。
その運動がひまわり運動に繋がった。ひまわり運動の人々は、日本の首相官邸前の道路を埋め尽くした抗議行動も見ていたでしょう。実際、官邸前で台湾から来た若者に会ったこともあります。— TOKYO DEMOCRACY CREW (@TOKYO_DEMOCRACY) June 18, 2019
またひまわり運動や雨傘革命の前年には、日本では反原発運動からアンティファ運動に転じた人々が、反ヘイト運動や特定秘密保護法反対運動などの中で激しい非暴力直接行動のスタイルを生み出しましたが、当然それも見ていたんではないでしょうか。それが立法院占拠に繋がったかどうかまでは不明ですが。
— TOKYO DEMOCRACY CREW (@TOKYO_DEMOCRACY) June 18, 2019
そしてひまわり運動は、ご存知の通り、同年の香港の雨傘革命に非常に大きな影響を与えました。
そして日本の特定秘密保護法反対運動から生まれたのが後のSEALDsで、彼らが同年代の若者どうし、雨傘運動のリーダーたちと親交を深めてきたことは、これもご存知の通りです。— TOKYO DEMOCRACY CREW (@TOKYO_DEMOCRACY) June 18, 2019
台湾の反原発運動は非常に大規模なものでしたが、もちろんきっかけは日本の福島第一原発の事故でした。
2011年以降の東アジアの市民運動は、互いに影響を与え合いながら進んできたのです。311は東アジアの市民運動を変えたのです。— TOKYO DEMOCRACY CREW (@TOKYO_DEMOCRACY) June 18, 2019
ちなみに日本の運動に全く影響を受けていないのは、朴槿恵政権を退陣に追い込んだ韓国のキャンドルデモで、これは2008年の反李明博デモに起源を持っています。そして当たり前ですが80年代の民主化運動に最大のルーツがあります。
韓国の運動こそまさに羨望の目で見てしまいますね笑。— TOKYO DEMOCRACY CREW (@TOKYO_DEMOCRACY) June 18, 2019
補足すると、台湾の学生運動(向日葵運動)はどちらかというと沖縄の反基地学生運動との繋がりが強かったです。(台湾と沖縄は歴史的に繋がりが強いので。)
立法院占拠(学生による座り込み)は、沖縄の米軍基地前座り込みに着想を得たものです。
香港の雨傘運動は、元々は中国本土から越境入学してくる学生を閉め出す運動で、目的としてはお世辞にも褒められたものでは無く、台湾や沖縄は距離を置いていました。
日本のSEALDsの、一部のメンバーが香港の運動と繋がっていたのは事実ですが、確か主流派メンバーでは無かったかと。
まあ、SEALDsと繋がっていた為に香港の運動が民主化運動に変質したのかどうかは、ちょっと不明ですが。
ちなみに散々言われていることですが、SEALDsとSEALDs琉球は、ルーツが違います。