新立憲民主党の本当の意味【共同】


新立憲民主党の本当の意味「民主党再結集」は的外れ|47
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>▽対案提示から対立軸提示へ
>新進党や民主党といった過去の野党第1党は「政権担当能力」を意識するあまり、政府案の検証や批判より「対案の提示」に重きを置いた。
>これに対し新立憲民主党は、新自由主義色を強め「自己責任」を強調する自公政権に対し、「支え合う共生社会」を掲げ、目指す社会の姿が全く異なる点を強調した。個別の政策ではなく「大きな社会像についての選択肢を提示する」ことに重きを置いたのだ。

>▽「二大政党論」が生んだ野党の変質
>こうした「対決型」の野党像は、永田町では長く嫌われてきた。「野党は批判ばかり」という言葉は、今でも野党に対するネガティブキャンペーンで使われることが多い。
>小選挙区比例代表並立制が導入された1990年代半ば、当時繰り返し叫ばれていたのが「保守二大政党論」。野党第1党だった社会党(当時)などのリベラル勢力は政治の片隅に追いやられた。「新しい野党第1党」は、内外から「保守二大政党の一翼を担う」ことを内外から求められ続けた。
>批判ばかりの野党と言われたくない。政権担当能力を示すためには、現政権に批判的なリベラル派の存在は邪魔である。そんな空気が長く永田町を支配していた。

>▽個別政策で対案を作るだけでは…
>そもそも、野党が個別の政策提案をいくら行っても、その背景にある理念や、目指すべき社会像が明確でなければ、その提案を使ってどんな社会を作りたいのかが有権者に見えず、支持をして良いのか悪いのかわからない。

 逆に言えば、自民党は「自助」「伝統的家族観」といった「自己責任論に基づく国家像」を党是として掲げている。
 弱者切り捨てに他ならないこの”理念”も、既得権益を手にした上級国民からすれば甚だ都合の良い国家像で有り、故に自民党は上級国民の絶大なる支援を受けて8年前に政権に返り咲き、現在に至るまで政権を握り続けていると言える。

 ”新”立憲民主党が自己責任論を全否定する方針を明確にし、共闘する共産党・社民党も同調していることは、目指すべき国家像の違いという明確な対立軸を生み出せたという事実は確かにある。


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