>名古屋テレビ塔(高さ180メートル、名古屋市中区)が18日、大規模改修を終えて1年8カ月ぶりに新装オープンする。世界でも珍しい塔内ホテルを設け、名古屋のシンボルとして再び観光の中心を担う。工事には延べ2万7000人が従事。南海トラフ地震を想定して震度6強の激しい揺れに耐えるよう、世界初の免震工法を実現した技術者は胸を張ってその日を迎える。
>「緊張と重圧から解放され、ほっとした」。免震化工事を担当した竹中工務店名古屋支店技術部の下野(しもの)耕一さん(50)は笑顔を見せた。
>東京タワーより4年早い1954年に開業した「国内最古」の集約電波塔で、空襲で焼け野原になった名古屋の復興のシンボルだった。建築家、内藤多仲の代表作の一つで免震化は「外観を変えない」が大前提。10年以上前から、日建設計(東京)が改修設計の検討に着手し、4本の脚を免震装置の上に据える世界初の方法が選ばれた。
>塔が建ったまま脚の基礎部分を切断し、免震装置をはめる前代未聞の工法だった。塔は4000トン。脚1本で1000トンもの重量を支える上、裾が広がった形の脚の根元には常に外へ開く力がかかっている。脚同士を太い鋼材で締め、開く力を抑えているが、基礎を切断すると新たに締め直す必要があり、その強度計算や工事途中の安全確保が難題だった。
>95年の入社以来、建設最中の建物の安全性を専門に分析してきた下野さんに声がかかった。例のない工事のため慎重に検討を重ね、締める力を精密に調節できる特別な装置を付け、鋼材の接合部分も新たな工夫を施した。「アイデアが形になるのが楽しみだったが重圧もあった」と下野さん。基礎を切断して塔が「宙に浮く」ヤマ場の朝は、神社にお参りしたという。
>大学に進学し、故郷の三重県から出てきて見上げたテレビ塔に「都会だな」と感じた。その姿は美しく、ファンになった。歴史的な改修に携われたことは喜びだ。鉄骨を組み、コンクリートの基礎を削り、溶接するなど、工事に当たったそれぞれの職人の技術の高さにも目を見張ったという。「自分は設計者と現場の橋渡し。大勢のプライドあふれる職人による集大成だ」と話す。外からは見えない脚の下に、最新技術と誇りが詰め込まれている。【岡村恵子】
東海民も意外と知らない人が多いが、名古屋テレビ塔の方が東京タワーより先にできた。札幌テレビ塔より後だとか言い出す関東民もおるが。